長女ともみ 父の看病と相続を終えて
公開日:2025-02-03 00:00
目次
■ 一番面倒を見た私に「ありがとう」もなく逝っちゃった
「生前にこうしてほしいとか言っておくものだよね。私たち三姉妹で、結局、全部叶えてあげたから悔いはなし。お父さんも喜んでるんじゃない?希望通り家で看取ったし、家族みんなに見守られて逝ったんだもん。一番面倒みた私にはありがとうもなく逝った。みんなには世話になったと言ってたのにさー(笑)。」
筆者の友人であるともみさんの父親が亡くなったのは昨年末の12月27日。年末でありながら告別式には200名もの参列があったとのこと。
「胃の全摘後も病院の先生の言うこともきかず好き勝手生きていたからね。最後家にまで連れてきてもらってありがとうって妹に言ってたって。最後の最後まで、私には何も言っていかないの?ってお父さんに言ったんだけど(笑)。私もお父さんに素直になれなかったから、お互い素直じゃなかったよね。悲しくないわけじゃないけど、しんどくもない。なんだか死んだ感じもしないし。」
3年前に下血したことから救急車で病院へ搬送され胃ガンが発覚。2週間後に胃の全摘出。その後、小腸捻転となり治療を乗り越えながら、昨年、ともみさんの父親は旅立たれました。
四十九日も迎える前に申し訳ないけれど、今の心持ちを聞かせてくれないかという筆者の申し出に「いつでもウェルカム!」と、普段と変わらぬ軽やかな返答を頂いたことに、驚きと感謝の念を深め、この度、自宅での看取りについて取材をさせていただきました。
■ 寝てるのか、死んでるのか、コントだよ
「家で看取るって決めたから、延命しないじゃない。モニターもつけないわけ。だからわからないのさ。寝てるんだか、死んでるんだかのコントみたいな。そう言うとみんな笑うけど、ほんとうにわからないんだから(笑)。妹だって看護師だけどモニターないとわからないなーって言ってたもん。」
亡くなる日の午後からは、ほとんど寝ているような感じで、呼吸は荒く目も開けずにいる父親を見て、旅立ちが近いことを感じたそう。
「いきなり自宅で亡くなると検死を入れないといけなくなっちゃうから、自宅で看取るって決めたら、訪問介護と訪問診療も手続きしなくちゃいけないのよ。病院が手配してくれるから、すぐ手続きに行った。訪問介護と訪問診療の先生とお話しする時にも『本当に連れて帰るんですね、いいんですね。何かあっても救急車は呼ばないでくださいね。その覚悟はありますか。』って聞かれて、ありますって答えて。。。」
この延命に関する決断で家族が揉めることはなかったのか聞くと、家族の総意として「家で死にたい」という父親の希望に沿い、連れて帰るという選択だったとのこと。
「最初はお父さんを連れて帰れる状態じゃなくて、病状が安定した時に『今なら連れて帰れるけどどうする?』と言われたから連れて帰りますと即答した。その後は、介護タクシーから介護ベッドの設置手配まで全て連携されて、二日後にお父さんを家に連れて帰ることが出来たの。」
■ 父の希望
「家で死にたいとか、痛いのは嫌とかは、ガンが見つかる前から、家族が集まってご飯食べてるときとかに普通に話していた。遺影は決めていなかったから、母が探し出して気に入った写真(妹の子の七五三の時の写真)を選んだ。亡くなる前は、私の夫(婿養子)に喪主をしてほしいとか、権利書がどこにあるとか、○○の役員をやっていて預かっているお金がここにあるとか、普通に話してたよ。」
普段から治療方針や自分の死について、その後の手続きまでを話せる関係性があり、家族が集う機会に全員に伝えることで家族の共通認識となっていた、その穏やかで暖かな家族像が浮かびました。
「葬儀の方針だけはお父さんの希望通りにはしなかった。『家族葬でやって、浮いたお金でみんなでうまいものを食ってくれ。』なんて言われていたのだけど。家族葬にしたらお母さんが大変じゃない。毎日毎日、誰かしら弔問に来るでしょ。その対応をお母さんにやらせるのはかわいそうってなったの。なぜかというと、うちの母、社交性がなくて人と上手く話せないのよ。代わりに私たちが対応するってなったら更に大変でしょう。だから一般葬にした。」
■ 葬儀の各種決めごと
「お父さんを家に連れて帰る5日くらい前、もう危ないなっていうときに、私が葬儀社へ行って見積もりを取って香典返しまで決めてきた。香典返しもさ『何人くらい来ますか?』って聞かれても分からないよね(笑)。80人くらいって伝えたら、たぶん足りないから100名分用意しておきますねと言われたけど、実際は200人も来た。お布施は確認していなくて、、、詳しい人に後で聞いたら、それは払い過ぎだねと言われちゃった。」
■ 父のいない正月
「おせちが届いたんだよね、お父さんが注文してくれていたおせち。正月まで元気でいる気だったんだろうけど、亡くなる前に『おせちはみんなで食ってくれ!』って言ってた。お正月にみんなで食べながら、妹が『これまさかお金払ってないとかないよね?後で3万円とかいわれてもやだよ(笑)!』なんて言って、そしたらお母さんが『大丈夫だよ、お父さんちゃんとコンビニで払ってたから。』とか。そんな感じで笑いのあるお正月だったよ。」
亡くなった後にこんな風に笑ってくれる人がいてくれたら、幸せな心持ちであの世に逝けるだろうなあ。筆者自身、近しい家族を見送るとき、悲しみに暮れる時間よりもその人を想って笑顔になる、そんな思い出をたくさん持っていたいと思いました。
「ちゃんとお年玉も用意してたよ。亡くなる前にどこに用意したのかお母さんが聞いてたんだけど隠してあるんだもん(笑)。引き出しの中の、三つ折りになってる資料の真ん中に隠してあって、だからしばらく誰も見つけられないの。引き出しの中に折りたたんであったらわからないじゃん。」
■ 父との最期の時間
「12月25日のXmasに家に帰ってきて、27日に旅立った。水を飲むだけでほとんど何も食べなかったけれど、その二日間は調子がよくて、喋ることもできたし、体を起こすこともできたの。床ずれ防止のために体勢を変えてあげるのが大変だったなあ。亡くなる前日に、『お父さん上向いてどこ見てるの?何してるの?』って聞いたら『上に行く順番待ってる。時間調整してるんだ。』って言ったの。で、次の日死んじゃったじゃん。本当にみんなが揃ってから死んだんだもん。亡くなる当日、午後になって子供達も旦那も、妹の家族もみんなそろってから30分後くらいだったかな。」
上からくるときも、上にいくときも、色々な調整があるらしいと聞きますが、そんな上手に調整が叶いみんなに見送られるとは流石です。幸せな最期だったことを、ともみさんの父親を語る姿からもうかがえました。
■おわりに
今回、ともみさんからは、父親の財産の分け方についてもお聞きしていましたが、家督相続(長男がすべての財産を相続する)に近い考え方で進むことに妹達も異論がなく「親族に揉めるスタンスがない」ことに、筆者も友人として安堵しました。
ともみさんのお話しから一貫して捉えられる、穏やかな家族関係。私が相続の準備として最も伝えていきたいことが今回のお話しの中にあります。法律に則った権利主張や、相続分を大きく歪ませるための各種対策、これらを尽くすことよりも優先したいことが「良好な家族関係の継続」です。現在、私の周りでも不穏な争族関係となってしまったご家族をみることが少なくありません。ドラマチックすぎるその展開は大変勉強になりますが、家族の分断を生まないための心の関りを重視していくことも相続診断士の役割として求められていると思います。
本コラムを読んだともみさんからは、「父が亡くなってすぐだから逆にいろいろ憶えていて良かったよ。死とか相続なんて重いテーマだと思われるけど、私の話の軽い感じで伝わることがあったらいいなと思う。逝くほうも遺されるほうも辛いからね。」と。筆者の想いを汲むような言葉をいただきました。
このような穏やかな相続やその手続き、心の在り方を、大切な方々に伝えていきたい思いでコラムを書いていきます。
【筆者プロフィール】
鈴木 美志乃(すずき よしの)

- ワクワクライフプランナー。
- お客様の人生に寄り添いワクワクの未来を語らう和装FP。
- 相続と日本文化の継承をテーマにコラムを書いています。
- あなたの人生と相続についての想いを聞かせてください。
- 《保有資格》
- 相続診断士
- 笑顔相続道正会員
- 縁ディングノートプランナー
- 2級ファイナンシャルプランニング技能士・AFP
- 【筆者へのお問い合わせ先】
- 株式会社Finlife 東京支社 前橋サテライトオフィス
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