「帰りたい」が止まらない病棟で、家族の手続きが止まるとき ――成年後見の制度が生まれた理由
公開日:2026-02-09 00:00
目次
■親の手続きができない時のために
介護や相続の現場で、筆者が何度も目にするのは、「生活の手続きが止まる」瞬間です。
通帳が動かない。
契約が進まない。
家のことが決められない。
その中心に、本人の「帰りたい」という気持ちがあることも少なくありません。
今日は、そんな「いま起きる渋滞」をほどく鍵になり得る「成年後見」について、実際の生活の場面に引き寄せてお伝えします。
※成年後見制度とは:
認知症・知的障害・精神障害などにより判断能力が十分でない成人の方(本人)の生活や財産・権利を守るために、法律的な支援を行う日本の制度です。この制度により、本人が不利益な契約や詐欺被害に遭うリスクを減らし、安心して暮らせるようにすることを目的としています。
■はじまりは、だいたい電話一本
平日の昼間、B子さんが休憩時間にふとスマホを取り出した途端、着信が…。
慌てて出てみると、それは母親Aさんが入院している病院からでした。
「Aさんが、病棟を出ようとしてしまっていて…。転倒の危険があるので、できればご家族の方と今後のことを…」
電話を切ったあと、胸の奥がザワザワします。
こういう時は、頭の中が一気に忙しくなるものです。
- 仕事、どうしよう
- 子どもの迎え、間に合う?
- 週末の新幹線、取れる?
- そもそも、退院後どうするの?
相続・終活の相談というと、「亡くなった後の手続き」のイメージが強いと思います。
でも、現場で先に起きるのは、もっと切実に、“いま生きている生活”の契約と支払いが詰まる瞬間であることが多いのです。
そして、その詰まりに直面したとき、急に現実味を帯びてくる言葉があります。
それが、「成年後見」です。
■入院中に進んだ物忘れ、「帰りたい」が止まらないAさんのケース
Aさんは、以前から「物忘れが増えてきた」状態でした。
築50年になりそうな木造戸建て(持ち家)で、何とか一人暮らしをしていました。
頼れる身内といえば、一人娘のB子さんだけ。
遠方に住み、仕事と子育ての両方を担っているため、普段は「電話+月1回の帰省」で見守るのが精いっぱいです。
ある日、転倒して骨折。救急搬送。入院。
そして入院中、Aさんの様子が変わっていきました。
病棟の廊下、消毒の匂い。ナースステーションの明かり。
Aさんは落ち着かず、歩き回ります。
「家に帰る。帰らなきゃ」
「早く帰りたい。帰りたい」
入院中に アルツハイマー型認知症と診断され、退院調整が現実の議題になります。
B子さんは週末に駆けつけ、医師・看護師・MSW(医療ソーシャルワーカー)から説明を受けます。
「この状態で、お一人暮らしに戻すのは危険です」
「まずは施設、もしくは手厚い在宅支援を検討したほうが…」
うなずきながらも、顔が強ばっていくB子さん。
頭の中では、もう計算が始まっています。
- 施設って、どこ?
- いくらかかる?
- 仕事、いつまで休める?
- 実家はどうなる?(築古の木造…心配しかない)
■ 退院が近づくほど、増える「三重ロック」――施設・銀行・実家
ここからが、本当に「しんどい」ところになります。
問題が一つではなく、同時多発していきます。
① 施設:話が進むほど「契約」の壁が出てくる
施設を見学し、申込みが進むと、紙の束が出てきます。
・ 契約書
・ 重要事項説明
・ 利用料
・ 緊急時対応
・ 退去・入院時のルール
・ (施設によっては)身元引受人や連絡体制の確認
B子さんは思います。
「じゃあ私が契約者になればいいよね?」
でも、ここが最初の落とし穴です。
② 銀行:支払いのために預金を動かそうとして止まる
入院費、施設費、当面の生活費。
「Aさんの口座から払う」が自然に見えるのに、そこで止まります。
・本人確認が必要
・意思確認が必要
・大きな払戻し
・解約は難しいことがある
B子さんは、自分のお金で立て替えはじめますが、いつまでも続くわけがなく、立て替えが限界になると、施設選びも止まります。
③ 実家:築50年の木造戸建てが“空き家化”して、別の問題を連れてくる
郵便物、草木、雨漏り、害虫、冷蔵庫、ガス・水道…
家というものは、住んでいないだけで静かに傷みが進んでいくものです。
「母は『帰りたい』と言うけれど、あの家は本当に安全なのだろうか。」
退院後、火の元、段差、徘徊、近所迷惑…。
考えれば考えるほど、B子さんの不安は増えていきます。
■「娘が契約者なら入れる?」
ここは、誤解されることも多いので、少し丁寧に書いていきます。
施設入所について、「後見人がいないと絶対に不可能」とは一律に言い切れません。
ただ、次の2つがそろうと、現場は詰まりやすいのです。
・本人が、契約の意味を理解して同意する力(意思能力)を欠いている
・本人の代理権を持つ人がいない(家族でも“当然に”代理できない)
ここで押さえておきたいのが、民法の基本ルールです。
意思能力がない状態でされた法律行為は無効(民法3条の2)。
つまり、「家族が署名したからOK」と単純にはなりません。
施設側としても、あとで無効になり得る契約は避けたい、という合理性もあり、慎重にならざるを得ないこともあるわけです。
そして、この話をやや複雑にしているのが、次の混同です。
◉ 混同①:「代筆」と「代理」――似ているようで、意味がぜんぜん違う
「署名ができない」と「契約ができない」は、似ているようで別物です。
【代筆】=「書く人が本人ではない」だけ
・意思(同意)は “本人” が持っている
・ただ、骨折で手が動かない/震える/目が見えない等で署名できない
→ 家族等が本人名を“代筆”し、代筆者氏名・続柄・代筆理由等を記録する運用があり得る
※ただし、本人が契約を理解できない状態の場合、
「代筆で署名」をしても “本人の意思に基づく契約”とは言いにくく、無効リスク(民法3条の2)が残ることがある
【代理】=「意思表示(契約する・しない)を代理人が行う」
・本人に代わって契約を結ぶ(本人に効果が帰属する)
・代理には “根拠” が必要(委任による代理権/法定代理など)
→ 本人の判断能力が低下して委任(代理権付与)が難しい局面では、家庭裁判所が選任する成年後見人等が “法定代理人” として契約等を担う。
法務省のQ&Aでも、成年後見人が介護保険契約を締結し、
それに基づいて特別養護老人ホーム入所契約を含む介護サービスの契約を結ぶ、という整理が示されています。
この「代理として契約できる」ことが、渋滞の出口になる場面があります。
◉混同②:「保証人がいない」と「代理権がない」は別問題
施設側から「身元引受人(保証人)」を求められるケースもあります。
ただ、ここは冷静に切り分けが必要です。
厚労省関係資料では、病院・介護保険施設が“身元保証人等がいないことのみ”を理由に入院・入所を拒む取扱いをしないよう求める趣旨が示されています。
(医療分野については、身元保証人がいないことのみを理由に入院を拒否することは、医師法19条1項の「正当な事由」には当たらない、という趣旨の通知もあります。)
ここがポイントです。
【保証人がいない】
それだけで排除してはいけない(という方向性)
【代理権がない/本人の意思確認ができない】
契約の有効性に関わるので、別の難しさがある
同じ「進まない」でも、詰まっている場所が違います。
■成年後見は、相続より先に“生活の支え”として登場する
「成年後見って、財産を勝手に使われないように守る制度でしょ?」
そう聞かれることも多いですし、もちろんそれも大切です。
でも、現場での「入口」は、実はもっと生活寄りです。
厚労省資料では、令和6年の申立て動機として
「預貯金等の管理・解約」が最も多く、
次いで「身上保護」、
その次に「介護保険契約」、
さらに「不動産の処分」や「相続手続」が並んでいます
(複数回答のため割合合計は100%を超えます)。
これはAさん一家の「三重ロック」と同じです。
・銀行(預貯金の管理・解約)
・施設や在宅サービス(身上保護・介護保険契約)
・実家(不動産の処分や管理)
・そして遅れて、相続(相続手続)
相続の前に、生活が詰まる。
筆者が「後見の話は、終活の“本丸の前の関門”」だと感じるのは、ここです。

出典:『成年後見関係事件の概況(令和6年1月~12月)』
最高裁判所事務総局家庭局
■制度の背景:禁治産の時代から「本人らしい生活」を支える制度へ
筆者が法律事務所に勤めていた1990年代は、ちょうど成年後見制度が整っていく過渡期でした。
当時の検討資料では、禁治産・準禁治産を前提とする仕組みが「利用しにくい」と指摘され、本人保護と自己決定の尊重、残存能力の活用、ノーマライゼーション等の理念と調和する制度が求められた経緯が整理されています。
1998年の「要綱試案」では、基本理念として 「自己決定の尊重」と「本人の保護」の調和が明示されています。
その後、1999年の要綱概要などで改正理念が示され、2000年施行に向けて関係法令の整備が進んだことが、厚生省(当時)の通知でも確認できます。
“古い制度を今の暮らしに合わせて作り替えた”というより、暮らしのほうが「契約社会」に変わったから、支える制度が必要になった――筆者にはそう見えます。
■現実:家族が抱え込みきれないから、第三者が支えるケースが多数派
AさんB子さん親子のように
「ひとりっ子・遠方・仕事と子育て」だと、家族が全部を背負いきれないことがあります。
これは、誰のせいでもありません。構造です。
最高裁の統計(令和6年)では、
成年後見人等と本人の関係について、
親族が選任された割合が約17.1%、親族以外が約82.9%となっています。
そして同じ資料で、
令和6年12月末時点の成年後見制度の利用者数は、
成年後見・保佐・補助・任意後見の合計で 253,941人と示されています。
「家族ができるはず」「家族がやるべき」だけで語れない時代になっている。
この統計は、その現実を淡々と映しています。
■そして今:成年後見は“完成形”ではなく、見直しが進んでいる
成年後見制度は、2000年にできて終わりではありません。
実は、今また見直しが進んでいます。
厚労省の資料では、たとえば
・判断能力が回復しない限り、利用をやめにくい
・包括的な代理権等により、本人の自己決定が必要以上に制限され得る
・後見人等の交代が実現しにくい
といった課題が整理されています。
法務省も、成年後見制度に関する改正の「中間試案」を公表しています。
筆者は、この「見直しが進んでいる」という事実に、希望を見ます。
Aさんの「帰りたい」という声を、ただ“困った”で終わらせず、
本人の意思を中心に据えながら、必要な支援が届く制度へ
――社会が動いている途中なのだと思うからです。
■まとめ:今日からできる“渋滞予防”は、これだけは
最後に、みなさんが、「うちは大丈夫」と思い込みすぎず、でも怖がりすぎずに、現実的に備えられるよう、3点に絞ります。
- 「止まる手続き」を棚卸しする
預金/施設・在宅サービス契約/実家の管理(修繕・売却・賃貸)…
何が止まると生活が詰むか、家族で言語化する。 - 本人の希望を“言葉のまま”残す
「家に帰りたい」は大切な希望。
同時に「どうすれば帰れるか(支える人・サービス・住環境)」を一緒に考える。 - 家族だけで抱えない導線をつくる
地域包括、病院MSW、ケアマネ、市区町村窓口。
早めにつながるほど、選択肢が増えます。
※本稿は一般的な情報提供であり、個別事案の結論を示すものではありません。
本人の状態・施設種別・地域運用等により取り扱いが変わり得ます。必要に応じて専門職・自治体窓口へご相談ください。
※本稿の事例は「合成事例」です。
上記の事例は、筆者が相続・終活の現場で見聞きした複数のケースをもとに、個人が特定されないよう 年齢・家族構成・経過・住環境・困りごとの出方を組み合わせて再構成した「合成事例」です。特定の実在の方を描写するものではありません。
金田 京子(かねだ きょうこ)
一家のお抱えFP「お金の羅針盤」きょうこ先生として活動。

法律事務所・金融機関勤務での経験や知識を活かしながら、専門用語を使わずにわかりやすい言葉で、世代間をつなぐ相続・終活コンサルティングをおこなっております。
三世代ライフプランニングや家計の見直しなどを中心に1万件を超える個別相談に携わり、お金(資産)に夢や想いを乗せて繋いでいく金融経済教育インストラクター、セミナー講師としても活動。
今秋、笑顔相続コンサルティング株式会社、シニアライフ相談サロンめーぷるの共同主催で、
おひとりさまの増加と多死社会に対応する専門家の育成を目指す「おひとりさま相続大学」が開講され、生命保険分野の講師を担当。
【保有資格】
・縁ディングノート®プランナー
・終活カウンセラー®1級
・相続診断士®
・2級ファイナンシャルプランニング技能士(国家資格)
・トータルライフコンサルタント(生命保険協会認定FP) など
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