日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に敗戦して今年の8月15日で79年目となります。
今日は筆者自身の感動した体験をつらつらと書いてみたいと思います。
1.軍歴軍属調査とは
ご自身の祖父や父などが先の戦争で軍人をしていたのか?していたとして旧陸軍だったのか、旧海軍だったのか、また階級は何でどこの部隊に所属していたのかなど、知りたいと思っても何をどう調べたらいいかわからない。という方もいらっしゃるのではないでしょうか?
筆者の夫がまさにそうでした。
筆者の夫は自身が小学校4年生の時に、父をガンで亡くしています。
母も28歳の時に突然死で亡くしているのですが、その母から子供の頃に
「恩給が出て助かった。」と聞かされていたそうです。
また、時々知らない男の人が果物や現金の入った袋をもって訪ねてきて
「隊長にはお世話になったから。」とお見舞いに来たことを何となく覚えているそうで、あの人は父とはどういう関係なんだろう?と子供心に感じたそうです。
そこでピンとくるものがあり、「元軍人だったんじゃないの?それも職業軍人。」と言っても主人は全く分からないというので調べてみることにしました。
ネットで調べると、旧海軍だったか旧陸軍だったかで調べ方が違うことが分かりました。以下、流れを簡単に説明します。
□旧海軍の場合
請求先は厚生労働省となります。
□旧陸軍の場合
請求先は除隊時に本籍があった都道府県となります。
請求できるのは本人、親族等(本人の原則6親等内の血族・配偶者、・3親等内の姻族及びその成年後見人・法定代理人。)及び本人又はその親族等の委任による代理人。
必要書類:交付・提供申請の際、戸籍により確認。(戸籍は確認後返却)
どちらに所属していたかわからない場合は厚生労働省と本人の本籍地の市区町村の両方に確認する必要があります。
その他、もし軍に所属していたとして、さらに詳しく調べるにはある程度、知識も必要ですし、ここは専門家に任せることにしました。
今回お願いしたのは、軍歴調査に詳しい、ジェネラジカル行政書士法務事務所の田中秀忠先生(https://genea-radical.com/)です。
依頼してから約3カ月半、調査結果が製本されて送られてきました。(製本は別途依頼)
2.義父の調査結果から
まず結論からお話しすると舅は旧陸軍の下士官では最上級の曹長であったことが分かりました。
20歳で入隊し、26歳で千島列島にある松輪島で終戦を迎えていました。
まず、歩兵二等兵として、第二次ノモンハン事件に参加。満州とモンゴルとの国境守備にあたったようです。
その後、射撃の腕を認められ、下士官の訓練学校を経て戦車隊に配属され、中千島にある松輪島でやはり、ソ連との国境守備にあたっています。
満州から千島までの間、一度も日本には帰国せず、任務にあたっていたらしく6年もの間、軍人として日本の国境を守っていたことになります。
最終的には下士官の最上階級の曹長まで昇りつめ、20歳で入軍し26歳には曹長というのは異例の出世だったそう。
舅は何度も奇跡的に助かっていたようで、それも軍歴や兵籍簿から判明しました。
もし、射撃の腕が振るわず、下士官の訓練学校に行っていなければ、元所属していた歩兵89連隊はフィリピン戦や沖縄戦でほぼ全滅。
松輪島で終戦を迎えた際も侵攻してくるソ連軍を向かい討つべく一時、樺太へ出兵準備を兼ねて帯広待機となったためシベリヤ抑留を逃れています。
いずれにしても、持って生まれた運の強さか、奇跡的に助かったといっても過言ではありません。
そうして、主人まで命が繋がったのです。
いかがでしたか?
家系図から先祖がどういう人だったのかを子や孫にすることも大切ですが、今回改めて舅の軍歴軍属調査を行ってみて、旧日本軍や舅が日本国を守り抜いてくれたのだと感謝と誇らしい気持ちで一杯になりました。
夫もほとんど記憶にない父親が立派な人間だったことを知り、感動していたことはもちろんですし、ご位牌に報告書をお供えして二人で感謝を伝えました。
これこそが、舅にとってもまた舅を尊敬していた姑にとっても最高の供養となったのではないかと考えています。