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私自身のありのままを映す鏡

公開日:2023-10-16 06:00

目次

●お寺やお墓に何を思ってお参りするか

夏から秋にかけて、お盆や彼岸などお寺やお墓にお参りする機会が度々ありました。熱心な方であれば、ご自宅にあるお仏壇に毎日手を合わされていることと思います。

彼岸にお寺にお参りされた方の中に、筆者に質問に来られた方がいらっしゃいました。「これからお墓にお参りに行くのですが、何を思いながらお参りすればよいのでしょうか?」と尋ねられました。

皆さんは、お寺やお墓にお参りされる時に、何を思いながら手を合わされていますか?

●お経や教えはありのままの自分を映す鏡

今から約1400年前の中国、唐の時代の僧侶で善導大師という方が、「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」という言葉を遺されています。

お経やそこに書かれた仏様の教えは、喩えるなら鏡のようなものだ、という意味です。鏡は、鏡の前にあるものをそのままの姿で映し出します。お経や教えによって、私自身の今の姿、心の中、私が生きる世界が、加工されることなく私自身に明らかになるのです。

皆さんは毎日、鏡に自分の姿を映して身だしなみなどをチェックしませんか?毎日は見ない、という人でも見たことはない、という人はいないと思います。その鏡に映った姿を「全て」自分自身であると受けとめられていますか。自分にとって好きな方向からだけ見たり、逆に見たくないものが映る角度を避けたりしているのではないでしょうか。

しかし、少し離れて自分のそんな姿を見れば、都合のよいところだけ他人に見てほしい、受け入れてほしい、という気持ちが明らかになってしまい恥ずかしく感じてしまいます。

●自分のそのままの姿を報告する

冒頭のご質問に対して私は「毎日過ごされているご自身の姿やお気持ちを、お墓に向かってありのまま口に出して、ご縁ある人々に報告してきてください。」とお答えしました。

もし、誰も聞いていないからと、嘘とまでは言えなくても、自分の姿を盛ってお話しされたとしても、何となく心が落ち着かないのではないでしょうか。お墓やそこに祀られた縁有る人々が仏様の一人として鏡となり、話している自分自身の姿や気持ちをありのまま映されるため、自分の姿に居心地の悪さを感じるのだと思います。

また、口に出して話しているうちに、自分でも思ってもみなかったことが、ふと出てくることがあります。鏡に映された自分の姿の中にいままで気づかなかったところがあることに気づいて、思わずそのことを話してしまうのだと思います。

●そのままの私で良し

仏教の教えは、他人と比較して優れている自分を良しとする教えではありません。誰と比較しなくても精一杯頑張って生きている私自身のそのままの姿を良しと受けとめることができる教えです。

そのためには、他人と比較した自分や装飾した自分ではなく、今のありのままの自分を認識する必要があります。お寺やお墓にお参りする機会に、お経や教えの鏡に映された自分を見て、ありのままの姿を受け入れていただきたいと思います。

吉武 学(よしたけ まなぶ)

饗庭山法泉寺(真宗大谷派) 住職
吉武学行政書士事務所 代表
一般社団法人相続診断士協会パートナー事務所
相続診断士
笑顔相続道正会員

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