自分の中に「ある」、形なき遺産
公開日:2024-12-02 06:00
目次
■「相続財産」という思い込み
皆さんが、「相続財産」と聞いて、すぐに思い浮かべるものは、どのようなものでしょうか。土地や建物、預金、有価証券といったものが多いのではないでしょうか。確かに、筆者も相続のご相談を受ける際に、財産と言えば、前述のものをすぐに思い浮かべます。
日本におけて令和5年に亡くなった方の数は、157万5936人にのぼります。そして、下の図を見ると、亡くなった人の中で、65歳以上の方が7割以上を占めていることが分かります。人が65年生きてきたということは、多かれ少なかれ、何かしらの財産(もしくは負債も含む)を持っているはずです。そして、その人が亡くなった後には、否応なく相続を経験する家族、親類等が存在します。
筆者がこれまで体験してきた中で、こんな言葉をつぶやく相談者の方が少なからずいました。
- 「全部、財産を取られて、私には何も遺してもらえなかった」
- 「相続放棄したら、財産は何も遺らないんですよね・・・」
- 「どうして、全部財産をとられないといけないんですか?」
確かに、土地や建物が全て手元に残らないようなケースもあります。相続放棄は制度として、そもそも相続しないというものです。
しかし、筆者としては、どこかで釈然としない思いを抱いていました。
本当に何も遺してもらえていないのだろうか、こんなにも悲しい思いを抱かなければいけないものだろうかと。
筆者自身も、相続放棄をした経験があります。では、自分はどう感じているのだろうかと振り返った時、多くの人が思い浮かべる「相続財産」というものを違う視点で見直してみるとどうだろうかと思ったのです。
一般的に「相続財産」と認識されている有形の財産だけでなく、「無形」の遺産があるはずだと思い、インターネット検索したところ、最初に出てきたのが「無形文化遺産」という言葉でした。
■「無形」という遺産
1. 日本の無形文化遺産
個人の相続の検索をしているのに、ずいぶんスケールの大きな言葉が一番最初に出てきましたが、無形文化遺産というものを知ると、相続と無関係ではないことに気づきました。
無形文化遺産とは?
皆さんは「無形文化遺産」という言葉を聞いたことはありますか?
無形文化遺産とは、ユネスコによって採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」に基づいて、目録に記載されているものです。目録に記載された無形文化遺産については、その文化遺産を保有する国によって、その文化遺産を保護するための措置を講じ守っていくことが求められています。
日本は、世界で3番目にこの条約に締約し、令和5年12月時点で、目録には22件の無形文化遺産が記載されています。その一例を挙げると、
- 能楽
- 人形浄瑠璃文楽
- 歌舞伎
- 雅楽
- 小千谷縮・越後上布
などがあります。そして今後、伝統的酒造りが新たな無形文化遺産に加わる予定です。
これらは、古くから伝わり、守られて、また新たに進化する技術、技法であり、人から人へ伝えることで遺されている無形の遺産なのです。この無形文化遺産を、細かく見ていけば、個人一人一人の無形の財産の相続が見えてくると筆者は考えました。
2. 歌舞伎から見る無形の財産
そこで、無形文化遺産の中に歌舞伎にスポットをあてて考えてみました。
歌舞伎を見たことがない人も、歌舞伎といえば着物を着て、ポーズを決めている、代表的なシーンを思い浮かべることはできるのではないでしょうか。
歌舞伎の舞台が完成するためには、まずは役者が必要です。役者は、永年渡り脈々と受け継がれてきた芸を披露します。その芸は、今でこそ映像などを残すことができますが、そもそもは、見て聞いて、身に染み込ませて覚え、次の世代に繋げてきたものです。呼吸、台詞まわし、所作、一つ一つが、無形の遺産です。
さて、歌舞伎は役者だけでは成り立ちません。歌舞伎に欠かせない物の一つとして小道具があります。歌舞伎に使われる小道具は数えきれないほどあり、後継者がいないため、作ることができなくなった物も多くあるのです。
下の写真の髪飾りに使われている赤い布『鹿の子』も一度は職人さんがいなくなり、作れなくなった小道具の一つです。今は、多くの方の努力が実り、また作れるようになったものですが、一度途絶えた技術を再現することは、とても困難なことです。
また、鬘(かつら)は、薄い銅板をたたき、1人1人の頭に合わせて土台を作ります。その土台に、髪を植え付けた羽二重という布を貼り、髪を結い上げて、ようやくこの美しい鬘が出来上がります。
鹿の子や鬘以外の髪飾り一つ一つにも、それぞれ職人がいて、その職人の技術も、人から人へ引き継がれてきた無形の遺産なのです。そうみれば、歌舞伎という無形文化遺産は、一人の人が持っている無形の遺産を数えきれないほど集約して作り出されている芸術であることに気づきます。
3. 私たちも無形の遺産を引き継いでいる
歌舞伎役者の芸、小道具職人の技、これらは確かに特別なものだと思います。しかし、誰かから教えてもらって自分の知識や技術となっているものは、私たちの中にもたくさんあるのではないでしょうか。
ささやかなものでも良いのです。
筆者の祖母は、大正生まれで、祖母が女学生の当時、学校で和裁を習うことは当たり前だったそうです。筆者が大人になって和裁を習っていた時期があり、祖母の前で宿題の縫物をしていました。普段は、あまりあれこれ口を出さない祖母が、私のおぼつかなさを見るに見かね「もっと糸をしごかんかい!」「ここは少し糸をよけいに置いとかんかい」と、細かいコツを教えてくれました。なるほど、たしかに、言われた通りにすると、しわが少なく、縫い目もきれいにそろっていきます。祖母からは、他にも、編み物も教えてもらいました。いまだに、針を持つときは、祖母の声が聞こえてくるようです。 当然、祖母の相続の際、相続人ではない筆者は、遺産を相続することはありませんでした。しかし、祖母が私に残してくれた遺産は、丁寧に振り返れば、実はとてもたくさんあることに、相続の勉強を本格的に始めてから、気づかされたのです。
4. エンディングノートを通して気づき遺す無形の遺産
目に見える、お金に換えられる、有形の遺産がなくとも、誰にも奪われることなく、自分自身の身を助け、生活を支えてくれる無形の遺産は、必ず1人1人の中にあると思います。
日頃は、当たり前すぎて気づけないかもしれません。
筆者自身も、前に書いた通り、 相続の勉強をする中で、この無形の遺産がこんなにも多く自分の中にあるのだと気づいたのです。
自分の過去を振り返り、自分自身を振り返った時に、家族、友達、仕事仲間、先生方など、多くの人から様々なものを受け取っていることに気付けるはずです。
それに気づけた時、その人を思い出すことが、供養にもつながると筆者は信じています。
相続はともすれば、有形のものを奪い合うことになる場合もあります。
しかし、自分の中にある故人からもらった無形の遺産に気づき、「ある」ものを数えられたら、目の前の相続の見え方が変わってくるのかもしれません。
蓮見 倫代(はすみ みちよ)
- 笑顔相続道正会員
- 相続診断士
- 縁ディングノートプランナー
都内法律事務所で弁護士をサポートする専門職(パラリーガル)として勤務。その経験をもとに、相続における『物』と『想い』の全てを次の世代へ引き継ぐサポートを目指し、エンディングノートの書き方講座開催。円滑な相続準備を支援から相続発生後の手続きを迅速かつ丁寧な対応でお客様をサポートしています。
【筆者へのお問い合わせ先】